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福島地方裁判所 昭和30年(タ)5号 判決

主文

一、昭和三〇年(タ)第五号事件原告・同年(タ)第六号事件被告野村ありと、同年(タ)第五号事件被告・同年(タ)第六号事件原告野村雄二とを離縁する。

二、昭和三〇年(タ)第六号事件被告野村ありは、同事件原告野村雄二に対し、金一〇〇、〇〇〇円を支払うべし。

三、昭和三〇年(タ)第五号事件原告野村あり、同年(タ)第六号事件原告野村雄二の各その余の請求を棄却する。

四、訴訟費用(タ)第五号、第六号各事件について生じた総費用)はこれを三分し、その二を昭和三〇年(タ)第五号事件被告・同年(タ)第六号事件原告野村雄二の負担とし、その余を同年(タ)第五号事件原告・同年(タ)第六号事件被告野村ありの負担とする。五、この判決のうち第二項は、同年(タ)第六号事件原告野村雄二において金三〇、〇〇〇円の担保を供するときは、仮りに執行することができる。

事実

(省略)

以下昭和三〇年(タ)第五、六号各事件を通じて野村ありを「原告」、野村雄二を「被告」と表示する。(以下省略)

理由

一、被告が原告の夫野村明夫の実弟野村稔の子であり、明夫は昭和二八年九月二七日死亡したこと、原告と被告とが、昭和二八年一〇月二四日訴外斎藤太重の媒酌で、被告を養子とする縁組をし、同日その届出をし、被告は原告方において家業である農業に従事して来たことは、当事者間に争いがない。

二、(1) 原告の離縁の請求について。

(イ)  被告が原告を敬愛せず、また侮辱したという主張について。原告本人尋問の結果によれば、原告があるとき「亮吉がいる時分は四人暮しであつたのにいくらか残つたが、お前が来てからは二人暮しなのに足りない。」と言つたところ、被告は「そんなことを言えば徹底的にやつてやる。」などと言つたことがあることが認められるけれども、このような言葉は不和な間柄同志の売り言葉買い言葉にすぎず、侮辱というほどのものではない。そのほか常日頃被告が原告に対し、「張倒すぞ」「この気狂婆」などと罵言を言つた事実を認めるに足りる証拠はない。もつとも、あるとき被告が夕食中原告から雨戸を閉めるよう言いつけられたが、直ちに座を立たなかつたところ、原告はやにわに立つて自ら雨戸を閉めたので被告は驚いて「何だろう気狂いのように」と言つたことは、被告も認めるのであり、これは親に対する言葉として不相当であるが、一時的な感情から言葉の端に出たもので、とりたてて侮辱であるとするに当らない。また証人平野喜七(第一回)、同飛田まきの各証言、原告本人尋問の結果および弁論の全趣旨を考え合わせると、被告は縁組以来原告を尊敬し誠意を以て孝養をつくすという気持に欠けるきらいがあつたことを認めることができるが、一方証人野村稔、同越田茂八、同野村タキの各証言、被告本人尋問の結果を考え合わせると、原告は猜疑心が強く、被告に対し無理解で、感情が激するとさ細なことから被告に怒つたり、不快な言葉をかけたりする傾向があつたことが認められるのであつて、要するに相互の間が不和であつたため出た被告の前記発言、態度のみをとりあげて、独立の「縁組を継続しがたい重大な事由」とすることはできない。

(ロ)  被告が原告の田を野村稔に使用させ、また農作物などを搬出し、あるいは原告の領金を引出したという主張について。

被告が実父稔に対し原告所有の田二畝歩を勝手に事実上使用せしめていた、との原告主張事実については、これを認めるに足る証拠はなく、かえつて被告本人尋問の結果ならびに弁論の全趣旨によれば、被告は生家の稔方から農耕その他に援助を受けていたため、稔方の家族も原告所有の苗代田に立ち入つて耕作していたのを原告が誤解したものであることをうかがうことができる。

次に証人平野喜七(第一回)、同斎藤寅松および原告本人は、被告は原告と同居中原告方で生産した穀物、野菜、肥料などを多量に生家に搬出していた旨の証言ならびに供述をしている。しかし、右証言および供述中、昭和三〇年六月以前の搬出処分に関する部分は、証人菅原栄三郎の証言、同証言によつてその成立を認めることができる乙第四号証および被告本人尋問の結果に対比してみると、これをたやすく信用することはできない。ほかに右事実を認めるに足る証拠はない。もつとも、この点について、被告が原告方自家用の残りの品質の悪いとうもろこし、かぼちや、大根などを生家の稔方にくれたことがあることは、当事者間に争いのないところであるが、証人野村稔、同野村タキの各証言、被告本人尋問の結果および弁論の全趣旨を考え合わせると、被告は原告方において農事に関する一切の仕事を任せられていたこと、手不足のため生家の稔方から農耕、家事、病気看護などひろく援助を受けていたので(この援助に原告が反対の意を表したことは認められない)、謝礼の意味で多少の農作物を生家に贈つたものであることが認められ、これは常識上当然のこととしえるから、被告の右所為は不法行為にあたらない。また被告が自転車一台を原告方から生家に持ち運んだことは当事者間に争ないが、被告本人尋問の結果によれば、これは原告から貰つたものであることが認められるのでで、不法ではない。次に被告が昭和三〇年六月中旬頃、自己が栽培した大麦三俵半、小麦一俵その他玉菜・菜種を原告方の畑から収穫し原告に無断で生家に持ち運んだことについても当事者間に争いのないところであるが、証人野村タキ、同野村稔の各証言および被告本人尋問の結果を考え合わせると、昭和三〇年五月一八日ごろ原告は被告に対し、原告は全所有財産を売却して水戸方面に転居するから、被告は生家に帰るよう伝え、被告や父稔、斎藤寅松が飜意を促したが、原告は応ぜず、被告は止むなく生家に帰り、何時また原告方に戻ることができるかわからない状況に余儀なくおかれ、事実上離縁状態になつたので、被告としては原告の養子としての労に報いられることなく、このようになつたことに堪えられず、当分の間の自己の喰扶持として前記穀物などを持ち運んだものであることを認めることができる。このようなことは多分にいわゆる自力救済的なやり方で相当とはいえないけれども、原告がこれに対して特に異議をのべた形跡もなく、養子として農作物の処分も任せられていた被告が右程度の農作物を生家に持ち帰ることは、常識の許す範囲内のことであり、それ自体としては「縁組を継続しがたい重大な事由」にあたらない。

進んで、被告が原告の予金を不法に払戻した、との原告主張事実について考えるに、原告本人は原告の主張に副う供述をしているが、これは後記証拠と対比すると信用できずかえつて、成立に争いのない乙第一号証の一、二ならびに甲第九号証の一、二、被告本人尋問の結果を考え合わせると、被告は、原告と相談の上原告が賃借している斎藤寅松の田に対する小作料の供託のため、鎌田農業協同組合に対する原告の予金全部を払戻し、うち金三、四二〇円を小作料として預り、残金は原告に交付したが、右小作地の地番・地積が不明であつたため、供託できないでおり、そのまま被告は、右金員を生家に持ち帰つたが、昭和三〇年一〇月一八日原告に右金員を郵送して返還したことをそれぞれ認めることができ、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。この認定事実によれば、右金員を不法に領得したものとは到底認めることができない。

(ハ)  被告が野村亮吉の相続放棄申述書を偽造したとの主張について。

この事実については、これを認めるに足る証拠がない。

(ニ)  調停および仮差押の各申立などの主張について。

被告が昭和三〇年五月頃原告を相手取つて離縁、財産分与請求の調停を申立て或は、慰藉料請求権保全のため、原告主張のような仮差押命令(注 原告所有の全農地の仮差押)を申請し、同趣旨の仮差押命令を得て執行したことは当事者間に争いのないところである。しかし、被告が、右処置に出たのは、原告が前認定のように被告に対し、離縁および原告所有の全財産売却の決意を伝えたので、被告も離縁をやむをえずと考え、右の行為に及んだものであることが弁論の全趣旨により認めることができるのであり、事態がこうなつた以上、人情の常として止むを得ない処置であるというべく、これをもつて被告の責に帰すべき「縁組を継続しがたい重大な事由」の一と目することはできない。なお原告は被告が養子になつたのは原告方の財産をろう断するためであると主張するが、これを認めるに足る証拠はない(もつとも被告は原告の財産を相続することに期待を持つたであろうが、養子となる以上これは常識上当然である。)

(ホ)  しかしながら、以上に認定した各事実を考え合わせてみると、原告と被告とは縁組以来互に愛情に欠け、事毎に対立し、少しも協力して円満な養親子関係を確立する意思がなかつたのであり、その結果別居し現在は事実上離縁も同然の状態にあつて、もはや復帰する見込はなく、両者間の養子縁組をこれ以上継続すべき理由はないということができる。従つて前記各事実を全体としてみれば「縁組を継続しがたい重大な事由」をなすといえるから、原告と被告とを離縁すべきであり、原告の離縁の請求は理由がある。

(2) 原告の損害賠償の請求について。

被告の前記認定の各行為はいずれも不法行為とはいえないこと前に述べた通りであるから、原告の損害賠償(慰藉料を含む。)の請求は理由がない。

三、被告の請求について。

(1)  昭和三〇年五月一八日ごろ原告は被告に対し、原告は全所有財産を売却して水戸方面に転居するから、生家に帰るよう伝え、その際、被告は実父稔および訴外斎藤太重とともに、原告の飜意を懇請したが、原告はこれを容れず、ために被告は止むなく生家に帰つたことは前認定のとおりであり、さらに証人飛田まき、同菅原栄三郎の各証言と被告本人尋問の結果とを考え合わせると、昭和三一年春頃原告は、所有の家屋・宅地および農地一切を売却して茨城県那珂港市東塚原に転居したこと、被告が当時二四歳であり、これという財産は全く所有していないことをそれぞれ認めることができる。他にこの認定を左右するに足る証拠はない。以上の各認定事実を合わせ考えると、原告の右所為はすでに原被告間の関係が事実上破れていた後のことであるとはいえ、養子たる被告に対する扶養の意思なきことを終局的に表明したものであり、原告、被告間の縁組に決定的な破綻を生ぜしめたものということができる。

もつとも前記認定のように、被告の原告に対する態度・言語には、粗暴のそしりを免れないものがあり、その行動には親である原告を尊重・敬愛する念に欠ける点が多々あつたし、一方飛田まきの証言によれば、原告は離縁については二十万円を被告に贈与すると言つたのに被告はこれを不服として応じなかつたことが認められるけれども、そうかといつて円満な話合をまつことなく前記のように家産一切を売却し、被告を残したまま独り他に転居する挙に出たことは、ひつきよう悪意をもつて被告を遺棄するものであるといわざるを得ない。

以上の次第であるから、被告の離縁を求める請求は、その余の点について判断するまでもなく理由がある。

(2)  進んで慰藉料の請求について判断すると、原告の前記行為は有責、違法な行為といわねばならず、これが離縁のやむなきに至つた主導的な原因をなしているのであるから、原告は離縁によつて被告のこうむる精神上の苦痛に対し慰藉料を支払うべきものである。

そこでその額についてみると、被告が本件縁組当時二二歳であり、農業野村稔の二男であることは当事者間に争なく、証人野村稔、同斎藤太重の各証言と被告本人尋問の結果を考え合わせると、被告は大学進学を志望していたので、原告の養子となることを必ずしも希望していなかつたが、原告および斎藤太重が、一人前にやつて行けるようにする、将来は原告の財産をそのまま相続させるから養子になつてくれと切に申入れたので、意を決して原告の養子になつたことを認めることができ、原告本人尋問の結果によれば原告は売却前田二反三畝、畑一反七畝ほかに桃畑、家屋宅地を所有していたこと、他に扶養家族はないことが認められ、以上の各事実と前記認定ならびに争いなき一切の事実殊に被告にも多分の過失があつたことを合わせ考えると、原告は被告の精神上の損害に対し金一〇万円をもつて慰藉するを相当とする。従つてこの点に関する被告の請求は、右限度で理由がある。

四、結論

よつて原告の請求中離縁を求める部分を認容し、その他は理由がないから棄却し、被告の離縁を求める請求および慰藉料の支払を求める請求中金一〇万円の部分はこれを認容してその余の請求を棄却し、仮執行の宣言については民事訴訟法第一九六条、訴訟費用の負担については同法第九二条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 小堀勇 羽染徳次 逢坂修造)

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